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「食」の世界史(知っておきたいシリーズ)


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教育 ブック
開発者 NOWPRODUCTION, CO.,LTD
無料

トマトはなんと媚薬だった! 料理と食材からわかる「おもしろ世界史」

世界各国からもたらされる様々な食材と料理にあふれている食卓。
日常的に食しているものの意外な来歴、世界各地の食文化との関わりなど、
「食」にまつわる雑学的な視点からみるやさしい世界史。

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※本文抜粋※

◆第四章 ユーラシアの食文化交流・2 草原と砂漠を越えてやってきた食材
【豆腐は「チーズもどき」?】

私たちにとって豆腐はごく一般的な食材だが、
中国に侵入した遊牧民のチーズを模倣してつくられるようになったという説がある。
食卓を飾る豆腐が、遊牧文化の浸透の産物だったというのである。

もともと東アジア世界、東南アジア世界には家畜の乳を利用する文化がなかったために、チーズは普及しなかった。
しかし、魏晋南北朝から唐にいたる時代は例外で、
遊牧勢力の中華帝国への進出が波状的に繰り返され、遊牧民の食文化が中国社会に浸透した時代だった。

乳腐(チーズ)も珍しい食材として一時支配層の間に普及していたが、遊牧勢力が後退すると乳製品は姿を消し、
身近な大豆を使うチーズの代用品がつくられるようになる。
それが豆腐だというのである。
ちなみに「腐」は、中国では柔らかで弾力のある固体を指す。


◆第六章 砂糖と資本主義経済・2 嗜好品が結びつけた三大陸
【アメリカ人が紅茶嫌いになった理由】

1773年、イギリス政府は売り上げ不振で紅茶の大量在庫を抱えた東インド会社を救済するために茶法を制定し、
東インド会社が抱える大量の茶葉をロンドン相場よりも安い値段で優先的に植民地に売却することにした。
ところが、植民地でも紅茶はだぶついており、危機感を強めた紅茶の密貿易商人を中心に、
東インド会社の紅茶の陸揚げ阻止を叫ぶ運動がボストン港中心にひろがった。

1773年12月、紅茶を満載した東インド会社の三隻の帆船が風の具合から目的としていた
ニューヨークからはずれて密貿易の中心であるボストン港に入港した。
ボストンの密貿易商人にしてみれば、本国政府のあからさまな挑戦である。
そこで、インディアンに変装した約90人の急進派が停泊していた東インド会社の船に乗り込み、
「ボストン港をティー・ポットにする」
と叫びながら342箱の紅茶を海中に投げ捨てるというボストン茶会事件が起こった。

1775年、本国軍がコンコード市のミニッツマンの武器庫を摘発すると、
それを阻止しようとした植民地軍との間にレキシントンで武力衝突が起こり、アメリカ独立戦争が勃発する。
植民地軍はフランスの支援を受けてなんとか独立を達成した。
しかし無理な支援が崇って財政が破綻したフランスでは、1789年にフランス革命が始まる。
アメリカ独立戦争とフランス革命は「近代市民社会」成立の契機になる出来事だが、
ヨーロッパと北アメリカでひろく飲まれていた紅茶に対する課税問題がそもそもの大変動のきっかけだったのである。

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※本書は角川学芸出版・平成18年10月25日発行「知っておきたい「食」の世界史」のiPhone/iPadアプリ版です。